「雪、降りませんでしたね……」 夜空を見上げ、私はぽつり、とつぶやきました。 黒い帳に輝くのは、満天の星々。風に吹かれ、ちかちかとその輝きを瞬かせています。 その星が、今にも落ちてきそうで、思わず、目を細めてしまいました。 「家兄さま……」 意識なく口に上らせた言葉に、鼓動が一段と高鳴ってきます。 体が熱くなって、手の平に汗が……ああ、こんなことで、本当に、デートを…… 「でっ!?」 「お嬢様っ? どうなされました?」 「い、いえ! 何でもありません。……さあ、行きましょうか」 「はい、お嬢様」 口ひげの奥でくすりと笑うチャンさんは、すっかり私の気持ちをわかっているみたいです。 本当に、みっともないですね。せめて、家兄さまの前では失礼のないようにしなければ…… 「………あ」 車に乗り込もうとした瞬間、遥か遠くの空に、一際輝く星が一つ、私を見つめていました。 あの方向は……そう、待ち合わせの場所がある方角…… そしてそのとき、微かな歌声が聞こえてきました。 「これは……」 幼い声が紡ぐ聖歌は、恐らく、近くにある教会から届いているのでしょう。 とてもか細く、でも幸せに満ちた、まるで天使のような歌声…… それは確かに、今日がクリスマスイヴだということを、私に自覚させてくれました。 数日前、私は家兄さまに、クリスマスイブをご一緒していただけるか、お願いしてみました。 突然の訪問だったにもかかわらず、家兄さまはそれを快く受け入れてくださって…… 今でも鮮明に思い出せます。家兄さまが「いいよ」と言われたとき、私の心の中は、驚きと、それ以上の嬉しさでいっぱいになってしまいました。絵のコンクールで優秀賞を受賞したときよりもっと世界が華やいで見えて……。そして、顔がこれ以上ないというほど熱くなって、恥ずかしさと照れくささで居た堪れなくなった私は、すぐに車の中に飛び込んでしまったんです。 今思えば、本当に失礼なことをしてしまいました。何しろ、当日の予定を何も決めずに、その場から逃げてしまったんですから。 あとで家兄さまに電話で謝ったとき、思いっきり笑われてしまいました。当然とは思いますが……。 どうして私は、家兄さまの前では失敗ばかりしてしまうんでしょうか。これでは、本当の兄妹のようになれるのは、まだ遠い先のようです。 途中、車窓から見える景色は、まさしくクリスマス一色に彩られていました。 大きな包みを抱えた子供たちとその両親。 優しい笑みを浮かべてレストランに入る老夫婦。 山積みのクリスマスケーキを売っている、サンタクロースの扮装をした人。 大勢で騒ぎながら、カラオケのお店に入る大学生らしき集団。 煌びやかに装飾された店という店。 そして、仲睦まじく寄り添う、大勢のカップル―― 私の学校は女子校なので、あまり男性を見かけることはありません。付き合いで参加するパーティーなどで見かけるカップルは、もうカップルどころか夫婦になって何年、という方たちばかりなので、若い人たちの組み合わせを見ることはほとんどないんです。 若い男性に会えること自体、少ないですし――そういえば、家兄さまも一応、若い男性、ですね。だとしたら、家兄さまの隣にいるのは私――え? た、確かに家兄さまはす、素敵な方ですけど……そんな、私と家兄さまがカップルだなんて…… 「――ま、お嬢様」 「は、い!?」 ま、またぼうっとしていたみたいです。 「な、なんですか?」 慌てて聞くと、運転席のチャンさんは渋い顔で窓の外に目をやりました。 「かなり、混んできているようです」 「あ……」 言われてみれば、車道はほとんど車に埋まっていて、まったく動いていない状態でした。さすがイブ、というところでしょうか…… 「お嬢様は気付かれていなかったかも知れませんが、十分ほどこの状態が続いているのです」 「事故でもあったのでしょうか?」 口にしてから、はっと私は思い至ってしまいました。もしかしたら、それは家兄さまかもしれない――と。 しかし、チャンさんは首を横に振って、 「それは分かりかねますが……いかがいたしましょうか。このままでは約束の時間までには間に合いませんぞ」 「そんな……」 時計を見ると、確かに待ち合わせの時間まで五分を切っていました。このまま車の中でじっとしていたら、時間はすぐに…… 「チャンさん」 「はい。近くの駐車場に車を止めたら、すぐに参ります」 「ありがとうございます」 そう言って、私は寒風吹きすさぶ外へと飛び出していきました。 左の腕に、プレゼントを抱えて。 「はぁ、はぁ、はぁ……」 舗装された大通りを、私は力の限り走り続けました。息を乱して走る私を、歩いている人たちが驚いた顔で振り返りますが、そんなことはまったく気にしていられませんでした。 校則第二十三条。常に優雅に、落ち着いた態度で過ごすように。――どうでもいいです。 家兄さまが、待っているんですから―― 「あ!」 「きゃっ」 焦っていた私は、前を歩いていた女の子に、肩をぶつけてしまいました。 「ご、ごめんなさい!」 女の子は驚いた顔でこちらを見つめていましたが、すぐに笑みを浮かべて、 「いいわよ。気にしないで」 「はい、本当に、すみませんでした!」 頭を下げて、再び走り出そうとすると、 「がんばって!」 って、さっきの女の子が言ってくれたので、 「――はい!」 答えて、私は再び、走り出しました。 家兄さまのいる、クリスマスツリーの元へ。 近くで見るツリーは、昨日下見をしたときよりも、ずっと強く、美しく輝いていました。 「家兄さま……」 急いで辺りを見回しますが、ツリーの周囲はたくさんの人がいて、家兄さまの姿を見つけるのは困難なように見えました。 と、 「湊」 その声が、後ろから―― 「家兄さま!」 「メリークリスマス」 クリスマスツリーのイルミネーションに照らされた家兄さまの笑顔は、いつも以上に素敵に見えて、私は思わず目を細めてしまいました。 「あの、遅れてしまい、申し訳ありませんでした」 「ううん。待ってなんかいないよ。――あれ?」 「え?……あっ」 空を見上げた家兄さまにつられて空を見上げると、鼻先に冷たい粒が落ちてきました。 「雪………」 それは不思議な光景でした。空には雲ひとつなく星が煌いているのに、まるで星の欠片のように雪がちらほらと降ってきたのですから。 「すごい……どうして降ってるんだろう?」 家兄さまと同じ疑問を持ったのは私だけではありませんでした。ツリーの周りにいる人たちみんなが、雲のない雪に首をかしげて――それでもこの事態に笑顔を浮かべています。 「こういうのを……奇跡っていうのかな」 いつの間にか流れてきたクリスマスソングを背に家兄さまが言いました。 イブに降る星の光と白い雪――確かに、これ以上の奇跡はないでしょう。 (あ……) 人ごみの中に、先ほどぶつかってしまった女の子がいました。彼女の傍には、知り合いらしき男の人が駆け寄ってきて―― そうなんですね。あの女の子も、ここで待ち合わせをしてたんですね。 「湊、どうした?」 「あ、いえ、何でも――きゃっ」 「っと」 振り返った私はバランスを崩してしまい――そのまま家兄さまに抱きついてしまいました。 「す、すみません!」 「あ、う、うん、大丈夫」 しどろもどろに返事をする家兄さまに、私は心の中で吹き出してしまいました。家兄さまも、慌てることがあるんですね…… 「そ、それより、その荷物、何?」 「え?」 家兄さまが指差したのは、私が小脇に抱えた板のようなものでした。 「あ、これは、その――クリスマスプレゼント、です」 そういってそれを差し出すと、家兄さまは受け取ってから、 「これ、中身は何かな? 開けてもいい?」 「だ、ダメです!」 思わず叫んでしまいましたが、ダメなものはダメなんです。 だって、その―― ――私の、自画像なんですから…… その、私は家兄さまの絵は描けませんし、それに前、家兄さま自身が「僕の絵を貰うより、湊を描いた絵がほしいなぁ」なんて仰っていたものですから…… ごにょごにょと口の中でつぶやいていると、家兄さまは「じゃあ」と仰って、 「僕からもクリスマスプレゼント」 「これ……」 家兄さまが差し出されたのは、リボンを巻いた細長いケースでした。 「開けても、よろしいですか?」 「ダメ」 「え?」 すると家兄さまは悪戯っぽく笑って、 「お互い、家に帰るまでは、秘密」 と仰って…… 雪の降る広場で、私たちはプレゼントを交換しました。 「改めて、メリークリスマス」 「はい――メリークリスマス、家兄さま」 "This wonder is perpetually." closed.
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